前回の習慣沼では、2歳半頃から始めた七田式の話を書きました。
私にとって七田式は幼児教育というより、
習慣作りの入口でした。
毎日机に向かう。
毎日少しだけ続ける。
その土台ができたところで、我が家に登場したのが公文です。
気づけば長男も長女も続いている公文。
今回はそんな我が家の公文沼について書こうと思います。
私は兄たちとの違いを公文だと思っていた
私には兄が二人います。
そして兄たちは勉強ができました。
特に真ん中の兄。
昔から「賢い」という印象でした。
一方で私はというと、ごく普通。むしろアホ。
いや、当時の私は本気で思っていました。
兄たちと私の違いは何なんだろう。
そんな時によく聞いていたのが父の言葉でした。
「お前、公文やってなかったからなぁ」
もちろん今になれば、公文だけが理由じゃないと分かります。
でも子どもの私は単純です。
兄たちは公文をやっていた。
私はやっていなかった。
なら違いはそこなんだろう。
そう思っていました。
中学受験の土台は計算力
私は中学受験経験者です。
だからこそ思うことがあります。
中学受験で怖いのは難問ではありません。
計算ミスです。
解法は合っている。
途中までも合っている。
なのに最後の計算で落とす。
これは本当にもったいない。
そして、その先の数学も同じです。
思考力はもちろん大切です。
でも計算ができなければスタートラインに立てない。
だから私は今でも思っています。
公文は学力を上げるためのものではない。
基礎中の基礎を作るためのもの。
そう考えています。
たまたま3歳半から始められた
本来は4歳からの予定でした。
七田式をやりながら、
「4歳になったら公文かな」
と思っていたのです。
ところが運よく先生が受け入れてくださいました。
だから長男は3歳半頃からスタートできたのです。
今思うとタイミングも大きかった。
長男自身も比較的素直だったのかもしれません。
七田式の延長で、
次は公文。
そんな感覚でした。
最初は簡単すぎると思った
正直に言います。
私は最初、
少し物足りなく感じていました。
長男はひらがなもある程度読めていました。
だから、
「もっと先の教材でもいいんじゃない?」
と思ったのです。
でも先生は違いました。
簡単な教材をたくさん出してくれた。
とにかく簡単な問題を繰り返す。
当時の私は不思議でした。
今なら先生の意図が分かる
でも今なら分かります。
簡単だから楽しい。
簡単だから成功体験になる。
簡単だから続く。
しかも当時の長男は筆圧が弱かった。
だから先生は、
どんどん先へ進めるよりも、
たくさん書くことを優先してくれていたのだと思います。
結果的に、
「プリント=楽しい」
という感覚が定着しました。
これは本当に大きかったと思います。
長女はもっと早かった
一方、長女。
この人は最初から違いました。
長男が毎日公文をしている姿を見て育っています。
だから公文が特別なものではありませんでした。
気づけば自然にやる。
そして長男より筆圧も高い。
長男が苦労した部分を、
あっさりクリアしていく。
長女は長男の失敗を先回りして回避しているような子でした。
スタート教材も長男とは違いました。
私も全部覚えているわけではありません。
でも、
長男の時には見なかった教材だった気がします。
宿題量は先生にお任せ
我が家は宿題量を細かく管理していません。
基本的には先生にお任せです。
なぜなら先生を信頼しているから。
もちろん相談はします。
でも最終判断は先生。
それが一番うまく回っています。
旅行中は思い切って休む
ただし例外があります。
旅行です。
公文は七田式と違って量があります。
だから旅行中は思い切って休みます。
旅行でしかできない経験がある。
そちらを優先したい。
これは我が家の考え方です。
でも帰省は別
義実家への帰省は話が違います。
冬休み。
春休み。
GW。
夏休み。
長いと二週間近く滞在します。
でも公文は持って行きます。
なぜなら、
家が変わるだけだから。
生活は続いている。
そう考えているからです。
先生との約束
公文には我が家独自のルールがあります。
宿題をもらったらやり切る。
なぜなら先生との約束だから。
もし約束を守れないなら、
先生の時間をいただく資格はない。
だったら公文はやめる。
もちろん体調不良や急な出来事は別です。
そこまで鬼ではありません(笑)
でも基本は約束。
この考え方は今も変わりません。
良かったのは繰り返し
公文の良かったところを聞かれたら、
私は迷わず答えます。
繰り返しです。
何度もやる。
何度も戻る。
何度も確認する。
最短距離ではないかもしれません。
でも基礎ってそういうものだと思うのです。
イマイチだった点を挙げるなら
ずっと「ない」と思っていました。
でも記事を書きながら思い出しました。
一つだけあります。
長男、
字がめちゃくちゃ汚いです。
本当に汚い(笑)
もちろん個性もあります。
公文をやっていても字がきれいな子はたくさんいます。
だから全部公文のせいとは言いません。
でも、
早く解く。
どんどん進む。
それが長男の成功体験になっていたのは事実です。
その結果、
丁寧に書くことが後回しになった部分はあると思います。
初めて先生に止められた
ある時、
長男の国語が進まなくなりました。
私は難しくなったからだと思っていました。
でも違いました。
先生に言われたのです。
「このままでは次に進めません」
理由は字でした。
文字が枠の中に入り切らなかったのです。
次の教材では通用しない
先生は続けて説明してくれました。
次の教材では文字を書く枠がもっと小さくなる。
今のままでは対応できない。
だからここで直したい。
と。
私はその話を聞いて、
ものすごく納得しました。
だから先生との相性が一番大事
もし進度だけを重視する先生だったら、
そのまま先へ進めていたかもしれません。
でも今の先生は違いました。
進むことより、
身につけること。
そこを大事にしてくれた。
だから私は信頼しています。
公文の良し悪しより先生との相性
結局ここに戻ります。
私は公文そのものも好きです。
でも、
本当に大事なのは先生との相性。
教育理念への共感。
親との対話。
学校選びと同じくらい大切だと思っています。
都心部なら教室もたくさんあります。
だから近いから選ぶではなく、
先生に会って選ぶことをおすすめしたいです。
一度だけ本気でやめる話をした
実は長男と、
本気で公文をやめる話をしたことがあります。
その時私は聞きました。
「公文をやめるのはいい。でも代わりに何を頑張るの?」
すると返事がありませんでした。
当たり前です。
まだ子どもだから。
でも私は思いました。
長男も心のどこかで、
机に向かう何かを求めていたのかもしれません。
公文は勉強ではなく「やるべきこと」
我が家では、
朝起きる。
ご飯を食べる。
着替える。
それと同じ場所に公文があります。
勉強という感覚とは少し違う。
やるべきこと。
その一つです。
だから今でも続いています。
振り返ると公文は学力ではなかった
公文で学力が伸びたか。
それはもちろんあると思います。
でも私にとって一番大きかったのはそこではありません。
机に向かうこと。
毎日続けること。
約束を守ること。
その土台を作ってくれたことでした。
七田式が習慣の入口なら、
公文は習慣の定着。
そういう存在だったのだと思います。
次回予告
習慣沼③ 勉強じゃなく習慣だと思った公文沼
我が家にとって公文は勉強ではありませんでした。歯磨きや着替えと同じ「やるべきこと」だったという話を書こうと思います。

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