前回の記事で、我が家にとって公文は勉強ではなく習慣だったという話を書きました。
でも習慣だからといって、毎日穏やかだったわけではありません。
むしろその逆です。
宿題を前に不機嫌になる日もある。
だるそうな日もある。
親の機嫌が悪い日だってある。
そんな日は当然、公文をめぐる戦いも起きます。
そして私は何度も言いました。
「もうやめちまえー!」
優しくではありません。
だいたい8割は勢いです。
本当にやめるか確認したのは2割くらい。
今振り返るとかなり雑です。
本当にやめていいと思っていたのか
実は最近考えることがあります。
私は「やめちまえ!」と言いながら、
本心ではやめてほしくなかったのかもしれない。
続けろよ。
頑張れよ。
親としてそんな気持ちがあった。
だから長女だったら、もしかするとその空気を読んでいたかもしれません。
親が本当は何を期待しているか。
長女はそういうところがあります。
でも長男は違う。
長男は良くも悪くもポヤポヤしています。
たぶん深く考えていません(笑)
長男の答えはいつも同じ
公文で揉める。
私が怒る。
「やめちまえ!」
と言う。
すると長男は毎回同じことを言います。
「やめない!」
です。
本当に毎回。
びっくりするくらい一貫しています。]
嫌なのにやめないくもん式
不思議ですよね。
嫌そうなんです。
だるそうなんです。
文句も言うんです。
でもやめない。
なぜなんだろうと考えたことがあります。
悔しいのかもしれません。
お友達も通っている。
できないまま終わるのが嫌なのかもしれない。
あるいは別の理由かもしれない。
もしかしてかわいい子がいるとか?
長男はそういうのに弱そうなタイプな気もします(笑)
本当の理由は分かりません。
でも少なくとも、
本人の中に続ける理由があるのでしょう。
長女にはあまり言わない
面白いのはここからです。
私は長女にはあまり同じことを言いません。
なぜなら性格が違うから。
長女は、
「じゃあやめる」
と言うタイプです。
そして怖いのは、
一度自分でそう決めたら本当にやめる。
未練なくやめる。
そういうタイプだと思っています。
自分で決めたことには強い
その代わり、
長女は自分でやると決めたことにはめちゃくちゃ強い。
負けず嫌い。
とことんやる。
小学校受験のペーパーもそうでした。
初見なのに、
「なんで分かるの?」
と親が驚くこともある。
私は本気で思っています。
人間3回目くらいなんじゃないか。
と。
そのくらい飲み込みが早い。
辛そうな時期はあったのか
長女は今のところ、あまりありません。
でも長男は違います。
はっきり覚えています。
割り算。
分数。
最大公約数。
あのあたり。
急に難しくなるんですよね。
今まで勢いでいけていたものが、
そうはいかなくなる。
私の口癖は矛盾している
そんな時に私がよく言うのが、
「最初からできる人なんていないよ。」
です。
でもその数日後には、
「二回目は間違えるなよ。」
とも言っています。
ひどいですよね(笑)
自分でも思います。
どっちなんだ。
でも親って結構そんなものかもしれません。
続いた理由は親の習慣
長男が頑張った。
それは間違いない。
でも親にも役割はありました。
公文を取り出しやすくしておく。
宿題の場所を決める。
終わるまではテレビを見ない。
当たり前のことです。
でもその当たり前を続ける。
結局、
継続する習慣って親の習慣でもあると思うのです。
でも主役は子ども
とはいえ、
ここまで書いて思います。
やっぱり一番頑張ったのは子どもです。
私は環境を整えただけ。
怒鳴っただけかもしれない(笑)
実際に机に向かったのは長男です。
泣きながらでも。
文句を言いながらでも。
続けたのは長男。
だから我が家の公文が続いたのは、
長男の努力によるところが大きいと思っています。
親がぶれたら終わる
私が一番意識していたのは、
ぶれないことでした。
これは七田式の頃から変わりません。
やるべきことをやる。
約束を守る。
その考え方です。
ロザンさんみたいにはいかないけれど
習慣沼①で書いた通り、
私はロザンのお二人の考え方にかなり影響されています。
毎日決めたことをやる。
積み上げる。
本当はそうしたい。
でも現実はそう簡単ではありません。
体調が悪い日もある。
仕事で遅くなる日もある。
兄弟げんかが勃発する日もある。
だから完璧ではありません。
でも約束だけは守る
それでも一つだけ徹底していることがあります。
先生との約束です。
宿題をもらったらやり切る。
もしできないなら、
宿題を減らしてもらう。
でも約束した分はやる。
これは今も変わりません。
「やめない」の積み重ね
今振り返ると、
公文が続いている理由は特別なものではありません。
ものすごく優秀だからでもない。
勉強が好きだからでもない。
公文の日も。
嫌な日も。
やめたい日も。
そのたびに長男が、
「やめない」
と言い続けた。
それだけなのかもしれません。
公文を続けて学んだこと
私が学んだのは、
継続って才能ではなく選択の連続なんだということです。
今日もやる。
明日もやる。
嫌でもやる。
そしてまた次の日もやる。
その積み重ね。
公文そのものより、
我が家はその感覚を学ばせてもらったのかもしれません。
次回 習慣沼⑤ 毎日折り紙1枚から始まった継続沼
実は我が家の「継続」の原点は公文だけではありませんでした。気づけば何年も続いていた折り紙習慣について書こうと思います。

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