小学校受験を始めるにあたり、長女は一度公文をやめました。
受験勉強だけでも十分忙しい。
公文まで続けるのは大変だろう。
そう思ったからです。
先生も理解してくださり
1年以上ブランクが空くのに
「帰ってくるのがわかってるから
成績表はそのままとっておきます」
と言って快く送り出してくれました。
年中の夏、一旦公文ストップしました。
ところが小学校受験ペーパーを進める中で、私は思わぬ壁にぶつかりました。
その単元が、数量でした。
小学校受験の数量でつまずいた
長女は公文で足し算までは終わっていました。
だから正直、数量分野はそこまで心配していませんでした。
ところが実際に問題を解いてみると、つまずく問題があったのです。
例えばこんな問題。
よく見る釣り合いの問題です。
りんご1個とみかん2個でつり合っているとき
りんご2個になったらみかんは何個必要でしょう。
小学校受験ではよくある問題です。
でも長女は分かりませんでした。
小2の長男にも聞いてみた
同じ問題を小2の長男にも出してみました。
長男は小学校受験をしていません。
受験用の数量問題もやったことがありません。
完全に初見です。
そして返ってきた答えは、
「わからない」
でした。
長女と同じです。
長男は数字に置き換えた瞬間に理解した
そこで私は問題の表現を変えました。
りんごとみかんを、
りんご1個10g、みかん1個5gって考えてごらん。
そう聞いた瞬間、
長男は
「あ、そういうことね!」
と言いました。
答えも一瞬でした。
私はその姿を見て思ったのです。
公文は計算だけではなかった
公文というと、
計算が速くなる。
先取り学習。
そんなイメージを持つ人が多いと思います。
もちろんそれもあります。
でも私が見たのは別の力でした。
数字で考える力。
数字に置き換える力。
数量を数として捉える感覚。
それは足し算や引き算を繰り返してきた結果なのかもしれません。
実際すでに分数の計算まで進んでいる長男は
割り算をつかったのか掛け算を使ったのか
自分の中ですぐには説明できなかったと思います。
でも、
10×2=20
20÷5=4
これが自然と頭の中で組み立てられたのです。
(中学受験には式が必要なので、それはこれから訓練です)
娘を公文に戻そうと思った理由
長男をみて私は長女を公文に戻そうと思いました。
ただし算数だけです。
足し算の先。
引き算。
掛け算。
割り算。
そこまで進めてみようと思いました。
なぜなら数量の理解につながると感じたからです。
なにより、公文をやめたくなかった長女です。
とくに算数。
好きな公文で数量を理解できるなら
こんな楽なこと、親にはありません(笑)
でも長男だったら戻さなかった
ここは少し面白い話です。
実は同じ状況でも、長男だったら戻していなかったと思います。
理由は公文の能力ではありません。
性格と従順性です。
長女は先生との約束を守れるタイプ。
小学校受験では、
「数字を書いてはいけません」
と言われることがあります。
長女はそう言われたら本当に書きません。
掛け算を知っていても。
割り算を知っていても。
ルールを守る。
そういう子です。
だから公文を続けながらでも受験できると思いました。
長男はきっと数字を書いていた
一方で長男。
長男は良くも悪くも素直です。
もし同じ年齢で受験をしていたら、
数字も書く。
文字も書く。
多分全部書く(笑)
そのくらい自分に真っ直ぐです(笑)
だから長男だったら公文に戻す選択はしなかったかもしれません。
兄妹でも全然違います。
遠回りはなかった
以前の私は、
小学校受験と公文は別物だと思っていました。
小学校受験は小学校受験。
公文は公文。
でも今は少し考えが変わりました。
足し算。
引き算。
掛け算。
割り算。
数字の感覚。
数量感覚。
全部どこかでつながっています。
もちろん公文だけで小学校受験はできません。
でも公文で積み重ねたものが土台になる場面は確実にありました。
もちろん、逆もあります。
と、いうかふつうは逆かも!?
まとめ
長女は一度公文を辞めました。
でも数量でつまずいたことで、算数だけ再開することにしました。
今回感じたのは、
学びに遠回りはない
ということです。
あの時やっていた足し算。
毎日積み重ねていた計算。
その経験は無駄ではありませんでした。
だから私は今、公文に戻るという選択をしています。
なにより、先生が理解してくれたからこの選択ができました。
息子が3歳半からお世話になって4年半。
先生なしでは、我が家の学力はありません。
本当に感謝です。
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